みなさん、こんにちは。
歴史マニア牧原です。
いま最も世界の注目を集めているであろう「ウクライナ戦争」について、私自身の感想を含めて何回かに分けて分析したいと思います。
心を痛める出来事であるからこそ、表面的な事象のみならず歴史的な背景を知ることで、より深くこの問題を理解することができると考えています。また、深い理解によってこそ、こういった悲劇を未然に防げると信じています。
ウクライナ・ロシアについてぜひ理解を深めていきましょう!
今回は、紀元前から中世のウクライナ地域についてまとめていきます。
【豊かなウクライナ地域】
現在のウクライナの大部分を占める地域は有史以来、非常に豊かな土壌(黒土:チェルノーゼム)を有しています。
これが現在も、ウクライナを世界有数の小麦の生産地とし、ひいては「ヨーロッパのパンかご」とすら言われるようにしている所以ですね。土壌が豊かで作物がたくさん実るということは、人口も増えて文化が育つことにも繋がります。
この黄金製の飾りを見てください!
極めて精緻な彫刻がなされていますね!古代の手作業とは思えないほどです。
しかし、この豊かな土壌がかえって他国から狙われることとなり、歴史上何度も「侵略」という形で悲劇を招いてしまいます。
画像の青い部分が現在のキエフ(キーウ、以下キエフで統一)を含む地域です。これらの分間はチョルリノース文化と呼ばれています。
この地域がスラブ人(大多数のウクライナ人もロシア人、ベラルーシ人もこのスラブ系民族に属します。)の文化の中心となっていきました。特にキエフはその最たる場所で、これらの民族は後に「ルーシ」と呼ばれるようになります。ベラルーシは国名にも「ルーシ」が入っていますものね。
ちなみにロシアもこの「ルーシ」を語源としていますよ。
後に、この地域にキエフを首都とする「キエフ大公国」が反映しますが、1240年にモンゴル帝国によって滅亡します。しかし、モンゴル帝国の領土は東に朝鮮半島、西にウクライナに迫るとは…。モンゴル帝国の広大さに改めて驚かされます。
その後、しばらくキエフ大公国はモンゴル帝国の属国となります。
モンゴルのくびきから離れた後は、有力貴族の群雄割拠や内乱が続き国力が低下。その結果、隣国ポーランドや、リトアニアの攻勢を受けました。歴史的に見ても、大国に挟まれて不安定な地域だったのですね。
【今回のまとめ】
現在ウクライナ共和国がある地域は豊かな土壌に恵まれ、そのために文化や民族が繁栄しました。
そしてスラブ人文化は今日のウクライナ人、ロシア人、ベラルーシ人等のルーツとなったのです。
現在、ロシアがウクライナに対して侵攻しているのも、「もともと俺たち同じ民族だろ?」という意識が根幹にあります。特にウクライナがNATOへの加盟することに対して、ロシアが拒絶しているのは軍事上の問題もありますが、「ウクライナがルーシ民族じゃないアングロ・サクソンの同盟に入るなんて許さないぞ!裏切りだ!」という民族間の感情的な理由もあるように見えます。
民族感情といった根深い理由も含まれるとなると解決はさらに複雑になるでしょう。
次回は、近現代のウクライナ地域について見ていきたいと思います。なぜ、ウクライナは頑強に抵抗できるのか。その理由がわかると思います。
参考資料